数あるファッションブランドの中で、なぜユニクロは突き抜けることができたのか。その理由の一つには、クリエイターの活用があるのではないか──。
柳井社長はクリエイターたちの才能をどのように活用し、どのようにブランドを構築してきたのか。ユニクロを変えたクリエイターたちとの出会いを聞く。
クリエイターの仕事は「翻訳者」
──外部の「クリエイティブな才能」との協業についてお聞かせください。ユニクロのブランドロゴを刷新したクリエイティブ・ディレクターの佐藤可士和さんとの協業や、2018年には、かつて雑誌『POPEYE』を編集長として率いていた木下孝浩さんをユニクロのクリエィティブ・コミュニケーション全般に携わる執行役員として招いたことが大きく報じられました。御社が「クリエイティブな才能」に注目したきっかけをあらためてお聞かせください。
私は、世の中にクリエイティブ・ディレクターと言われる人で、本当に力を持っている人はあまりいない、特に日本においてはほとんどいないと考えています。クリエイティブ・ディレクターとは、ビジネスと広告コミュニケーションをつなぐ翻訳者です。
私たちクライアントは「どういう思いでビジネスを展開しているか」を伝え、クリエイターはそれを踏まえて「だったら広告宣伝や店舗設計はこうなりますね」と提案する。マーケティングにおけるクリエイティビティは、クライアントの確固たる思いと優れた翻訳家たるクリエイターの両方の存在がなければ実現できません。
そのことを私に教えてくれたのは、今やファーストリテイリングのグローバルクリエイティブ統括を務めているジョン・ジェイです。彼との出会いは1998年、彼が米国の世界的広告会社ワイデン+ケネディの初代日本支社長として日本に来た直後です。そのころユニクロは、都心一号店として原宿店をオープンさせたばかり。
翌1999年には、ユニクロ・ブランド構築のブレーンとしてワイデン+ケネディと契約し、ジョン・ジェイがテレビCMのための画期的なアイデアを提案してくれました。このときの一連の仕事を通じて、広告やクリエイティブとは何たるか、イロハを彼から教わりました。
その後、ビジネスとしての付き合いは1年半ぐらいで途絶えてしまいましたが、彼との親交は続きました。会うたびに「うちに来てくれないか」と口説き続け、それが実ったのが2014年です。ユニクロだけでなく「GU」や「Theory」なども含め、ファーストリテイリンググループが持つブランドのグローバル化を進めてもらっています。